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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)146号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 増渕實

被告 宮下尚久こと 宮下忠司

右訴訟代理人弁護士 永瀬精一

被告 荘司哲夫

右訴訟代理人弁護士 吉弘正美

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求)

1 被告らは、原告に対し、各自金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

(予備的請求)

1 被告らは、原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告両名)

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

(主位的請求)

1(一) 原告は、襖、襖材料等の販売を業とする訴外株式会社甲野の代表取締役であるが、右訴外会社の取引先の信用調査を従前から被告宮下に依頼し、調査報告を求めていた。

(二) 原告にはその長男である訴外甲野一郎(以下「原告の長男」という。)がいるが、たまたま同訴外人が高校進学の適齢期にあり、原告は右長男を将来慶応義塾大学に進学し得る附属の高校に入学させたい希望を有していた。かかる状況のとき、原告はたまたま、昭和五四年九月ころ、埼玉県に所在する「秀明学園」が有名高校の進学率が良いことをパンフレットで知ったため、被告宮下に至急秀明学園の実体を調査するよう依頼した。

(三) しかるに、右調査報告が遅滞していたため、同年九月下旬ころ被告宮下に督促したところ、同被告は、「実は自分は、慶応義塾大学附属の高校(以下「慶応高校」という。)に受験の点数がどんなに低くても合格させられる慶応義塾大学関係の有力者を知っている。この有力者に頼めばお宅のお子さんは合格できる。よかったら聞いてやる。」と言い出し、また、その際、「秀明学園には被告荘司なる者が顔がきくから、この者をもよかったら紹介する。」と言い出すに至った。

(四) そのため、原告は右荘司の話をぜひ聞きたいと思い、昭和五四年一〇月一〇日ころ被告らに原告の自宅に来てもらうに至った。そして、その際、被告らは、「前記有力者には一〇〇〇万円渡せば間違いなく試験の点数に関係なく合格させてもらえる。自分達には斡旋料として合格後二〇〇万円いただきたい。」とのことであった。そのため、原告は、被告らの話を信用し、「ぜひお願いしたい。」と斡旋方を頼むに至った。

2(一) 昭和五四年一〇月一七日被告宮下から電話があり、「前記斡旋方について話がついたので、翌日(一八日)一〇〇〇万円を用意するよう。」に言われ、原告は同月一八日右金一〇〇〇万円を用意して、被告宮下指定の喫茶店「一番館」内で、被告らに交付した。

(二) その後、更に同月二〇日ころ、被告宮下から、「実は、被告荘司が運動費が、不足している。このままでは合格がおぼつかない。斡旋料二〇〇万円のうち一〇〇万円だけでも前払いしてもらいたいと言っている。ついては一〇〇万円だけでも用意して持参してもらいたい。」旨の電話があった。そのため原告は同月二二日ころ、喫茶店「レノン」に右金員を持参して、被告らに交付した。

3 しかるに、被告らは右金員を原告から受領した後は、「有力者」の話すらせず、原告からの説明を求めることに対して、日を重ねるに従い話が変り、有力者なる者は慶応高校の「校長」とか、「野球部監督」とかにくるくる変り、遂には高校の「国語の教師」であると言うに至った。そのため、原告は「有力者」の話が全くのうそであることに気が付き、初めて前記金員を被告らから詐取されたことを知った。

4 以上のとおり、被告らは、共同して、原告から、昭和五四年一〇月一八日斡旋料名目で金一〇〇〇万円、右同月二二日ころ前払金名目で金一〇〇万円をそれぞれ詐取し、原告に金一一〇〇万円の損害を与えた。

5 よって、原告は、被告ら各自に対して、右損害金一一〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日以降である昭和五六年一月二八日まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(予備的請求)

1 原告は、昭和五四年一〇月一八日、被告らに対し、原告の長男が慶応高校に入学できるよう委任し、慶応義塾大学の有力者に渡す目的で、金一〇〇〇万円を預託した。

2 しかるに、被告らは右金員の受託後、右目的に反し、右金員を右有力者に渡すこともなく、費消する等し、また、有力者についての話も「高校の校長」、「野球部の監督」、「国語の教師」等と順次話が変わり、有力者の存在すらないことが判明した。

3 そのため、原告は、被告らの詐欺行為に気付き、昭和五四年一一月一四日入学斡旋の委任契約を取り消し、金一〇〇〇万円の返還を求める意思表示をした。

4 よって、原告は、被告ら各自に対し金一〇〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日以降である昭和五六年一月二八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(主位的請求について)

(被告宮下)

1(一) 請求原因1の(一)の事実は認める。

(二) 同1の(二)の事実のうち、原告に長男がいること、昭和五四年九月ころ、「秀明学園」の実体調査を依頼されたことの各事実は認めるが、その余は知らない。

(三) 同1の(三)の事実はすべて否認する。

(四) 同1の(四)の事実のうち、昭和五四年一〇月一一日に被告ら両名が原告宅を訪れたこと、その際原告が被告荘司に慶応高校への入学斡旋を依頼したことの各事実は認めるが、その余は否認する。

2(一) 同2の(一)の事実のうち、昭和五四年一〇月一六日ころ被告宮下が原告に電話し運動資金一〇〇〇万円の用意を要請したこと、同月一八日原告から新聞紙に包んだ金一〇〇〇万円を預り、その直後、被告宮下が新聞に包んだままの金一〇〇〇万円を被告荘司に交付したことの各事実は認めるが、その余は否認する。

(二) 同2の(二)の事実のうち、同年一一月八日に被告宮下が原告から封筒に入った金一〇〇万円を預り、その直後に被告荘司に右封筒に入ったままの金一〇〇万円を交付したことは認めるが、その余は否認する。

3 同3の事実はすべて否認する。

4 (被告宮下の主張)

被告宮下は、原告から、その長男のために、昭和五四年九月一五日私立「秀明学園」の調査、次いで裏口入学を依頼され、被告宮下の知り合いで顧客でもある被告荘司と相談しながら原告の依頼の実現に努めていたところ、同月二九日、慶応高校の裏口入学を依頼されるに至った。

そこで、被告宮下は、昭和五四年一〇月五日被告荘司にその話をしたところ、同被告から、一旦は断わられたが、再三、再四懇請した結果、努力してみるという回答を得たので、同月六日原告に右回答を伝え、同月一一日原告とその妻を被告荘司に紹介した。その後被告荘司は、原告の長男の学力をつけるため知り合いの進学塾に右原告の長男を案内し、慶応高校の日吉、志木の両校の最近五か年間の入試問題集を入手し、原告に交付、慶応高校の関係者に直接面会する等の入学斡旋運動をした。更に、同被告は、原告と連絡をとりつつ、慶応の有力者に原告を引き合わせ、学校を訪問する計画を立てていた。

ところが、原告は、前記金一一〇〇万円を慶応の関係者に交付した後である昭和五四年一一月一三日以降「慶応高校は一〇〇〇万円や二〇〇〇万円では裏口入学はできない。とにかく、今回の話はやめにして、現金を返して欲しい。」とか「必ず入学させるという校長の確約がもらえるのでなければ、現金を返して欲しい。」と態度を急変させたのであって、被告らとしては、原告の意向にそうよう誠心誠意努力してきたものであって、今回の裏口入学の不成就はひとえに原告の身勝手な態度にあり、被告らには欺罔の意思はなかった。

なお、被告宮下は、原告から一旦受け取った合計金一一〇〇万円は全額被告荘司に渡して、被告宮下は一円たりとも費消していない。

(被告荘司)

1(一) 請求原因1の(一)の事実のうち、原告がその主張のとおりの業を営み、訴外株式会社甲野の代表取締役であることは認めるが、その余は知らない。

(二) 同1の(二)の事実のうち、原告に長男がいることは認めるが、その余は知らない。

(三) 同1の(三)の事実は知らない。

(四) 同1の(四)の事実のうち、被告荘司が昭和五四年一〇月一一日、原告宅に赴いたことは認めるが、その際、同被告が原告に対し、原告主張の如き言辞を述べたことは否認し、その余は知らない。

2(一) 同2の(一)の事実のうち、原告に被告宮下から電話があったこと及びその電話の内容については知らない。原告が被告荘司に対し金一〇〇〇万円を交付したとの事実は否認する。同年一〇月一八日、被告荘司は、被告宮下から喫茶店「グリーン」で金一〇〇〇万円の交付をうけたものである。

(二) 同2の(二)の事実のうち、原告に被告宮下から電話があったこと及びその電話の内容については知らない。原告が被告荘司に対し金一〇〇万円を交付したとの事実は否認する。なお、同年一一月八日に被告荘司が被告宮下から金一〇〇万円の交付を受けた事実は認める。

3 同3の事実はすべて否認する。

4 (被告荘司の主張)

被告荘司は、昭和五四年一〇月五日取引先の被告宮下から「原告の長男を何が何でも慶応高校に入学できるよう取り計って欲しい。」旨の依頼を受けたので、消極的な返答をしたが、再度被告宮下に懇請され、同月一一日宮下の案内で原告とその妻に会ったところ、原告夫婦からも強く懇請された結果、これを引き受け、懇意にしている慶応高校の関係者に原告の長男の入学斡旋の依頼をした。

そこで、被告荘司は、右関係者から「受験しないで入学することは不可能であるから、必ず受験することを条件に裏口入学の運動を引き受ける。そして、合格するには、一定の点数をとることが第一の条件である。しかし、それが不可能な場合でも、強いコネクションがあれば何とかなる。そのコネクションをつけるについては尽力する。」旨の約束を取りつけたので、その旨を同月一二日原告に伝えたところ、原告から改めて入学斡旋の運動を依頼された。

被告荘司は、右のとおり、慶応高校の完全な裏口入学は不可能でもあるし、慶応の関係者の顔を立てるためにも原告の長男が少しでも高い点数をとるように同年一〇月一三日同被告の知り合いの進学塾に原告の長男を案内し、同月一五日には慶応高校の日吉、志木の両校の最近の入試問題を原告に交付したが、右原告の長男は右進学塾の特訓を受けなかった。更に、被告荘司は、原告と連絡をとりつつ、慶応関係者に直接面会し、又は電話で、原告の長男の入学斡旋の依頼をし、又はその受験までの準備の指示を受ける等の運動をした。

そして、被告荘司は、同年一一月一〇日原告宅を訪問し、同月一四日の慶応日吉高校の訪問について打合せをし、その際、同道する慶応関係者及び慶応日吉高校で面会する先生の氏名等を伝えたところ、右一四日朝突然原告の妻から「今日の学校訪問には行かない。長男を必ず入学させるという学校側の言葉がなければ行ってもむだである。」旨の電話を受けた。そこで、仕方なく、被告荘司は、右当日右慶応関係者に同道され、自分自身を原告の長男の叔父と称して、慶応日吉高校を訪問し、同校の先生らと会って、勉強方法等の指示を受け、昭和五四年春の入試答案用紙を練習用にもらい、好意的な応対を受けて、同校を辞去した。

しかしながら、その後も原告は、「もし落第したら長男が大変ショックを受けて、立ち直れなくなる。絶対入学させるという学校側の一札を持ってこい。」と言い出す始末で、結局原告の長男は被告らの勧めにもかかわらず、受験を放棄したため、原告の強い懇請を受けて行った被告らの誠心誠意の入学の斡旋運動がむだに終わったのであって、被告らには欺罔の意思はなかった。

(予備的請求について)

(被告両名)

1 請求原因1の事実のうち、原告が昭和五四年一〇月一八日、被告らに対し、原告の長男が慶応高校に入学できるように働きかける運動資金として金一〇〇〇万円を預託した事実を認め、その余の事実は否認する。

2 同2の事実は否認する。

3 同3の事実は否認する。

三  抗弁(主位的、予備的各請求に共通)

(被告両名)

1 原告が被告らに交付した金一〇〇〇万円は原告がその長男を慶応高校へ不正入学させる斡旋を被告らに依頼し、その運動資金として交付し、また同じく謝礼の前払金一〇〇万円もその運動の対価として交付したものであって、右各金員はいずれもいわゆる不法原因給付に該当する。

2 したがって、原告は被告らに対し法律上右各金員の損害賠償請求ないし返還請求をすることができず、いずれにしても原告の本訴各請求は理由がない。

四  抗弁に対する認否

(被告両名)

1 抗弁1の事実は認める。

2 同2の主張は争う。

原告の被告らに対する金員の交付は、その動機において私立高校の不正入学の依頼という不法性があるにせよ、被告らの詐欺行為という反社会性ないし違法性の強大な犯罪行為に誘発されたものであるから不法原因給付に該当しないというべきである。

五  再抗弁

仮に、原告の被告らに対する金員の交付が不法原因給付に該当するとしても、被告らは不正入学の運動資金ないしその運動の対価という名目で右金員を原告から詐取したのであるから、不法の原因は受益者である被告らのみに存しているというべきである。

このような場合に、原告の損害賠償請求ないし返還請求を許さないとすれば、不法原因給付に藉口して、容易に金員を騙取し、その後はその金員の返還を免れるという極めて社会正義に反する結果とならざるを得ない。

したがって、原告は、被告らに対し、民法七〇八条ただし書により、交付した金員の損害賠償請求ないし返還請求をすることができるというべきである。

六  再抗弁に対する認否

(被告両名)

再抗弁は争う。

理由

一  原告の被告らに対する本訴各請求は、要するに、原告が被告らに対し、原告の長男を慶応高校へ正規の入学試験だけによらず、学校当局者に対しいわゆる裏口工作を行い、その結果合格させる、いわゆる不正入学ないし裏口入学の斡旋を依頼し、その運動資金一〇〇〇万円及びその運動の対価金一〇〇万円を交付したところ、被告らに右不正入学ないし裏口入学の斡旋をする意思が当初からなかったことが後日判明したので、主位的に詐欺による不法行為に基づく損害賠償として右金一一〇〇万円と遅延損害金の支払を求め、予備的に右不正入学ないし裏口入学の斡旋の委任契約を詐欺を理由に取り消し、右運動資金一〇〇〇万円の返還と遅延損害金の支払を求めるというにある。

まず、便宜被告らの抗弁から判断するに、抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

そこで、抗弁2の主張について判断するに、右金一一〇〇万円が原告の長男を慶応高校へ不正入学ないし裏口入学の斡旋を被告らに依頼し、その運動資金ないしその運動の対価として交付されたものであって、右金員の交付の目的は、正に民法七〇八条の「不法ノ原因」に該当すること明らかである。

二  次に、再抗弁について判断するに、受益者に存する違法性が給付者に存する違法性より著しく大きいものと評価できる等給付者の損害賠償請求ないし返還請求を否定することが、かえって受益者をいわれなく利得させ、正義衡平の観念に反するような場合には、民法七〇八条ただし書により、給付により受けた損害の賠償請求ないし給付した物の返還請求をすることができるというべきである。

そして、原告の主張に従った被告らの行為は、その意思がないのにもかかわらず、不正入学ないし裏口入学の斡旋を口実に金員を騙取するという刑法に触れる犯罪行為で違法性は極めて大きいものである。

しかしながら、原告の長男の不正入学ないし裏口入学を実現せんとする原告の行為は、入学の希望校が私立学校であるところから直接には刑罰法規に触れるものではないが、入学試験の実情について俗にいう受験戦争という言葉まで登場するとおり、その是非はともかく、真しな勉学態度で公正な実力試験によって入学試験の合格を目差す受験生が数多く存在する昨今の状況下において、財力で不正入学ないし裏口入学を実現せんとする点で当該私立学校及びその関係者の利益のみならず、社会全般の公序良俗に反し、その社会的非難は極めて大きいものといわざるを得ない。

したがって、原告の右行為の違法性の大きさに照らすと、原告の主張に従った被告らの前記行為の違法性の大きさを考慮に入れても、いまだ、被告らの行為の違法性が原告の行為の違法性より著しく大きいものとは認められず、原告の損害賠償請求ないし返還請求を否定することが正義衡平の観念に反するとは認められず、その他右結論を左右するに足りる原告の主張も存しないので、証拠調べをするまでもなく、結局本件において民法七〇八条ただし書を類推適用ないし適用すべきものとは認められず、再抗弁は理由がない。

したがって、請求原因について判断するまでもなく、原告の被告らに対する請求は民法七〇八条本文の類推適用ないし適用により許されないものというべきで、結局抗弁は理由があることに帰する。

三  以上の次第で、原告の被告らに対する本訴の本位的請求及び予備的請求はいずれも理由がないので、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮﨑公男)

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